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日中の気温は10℃を超え、1月とは思えない暖かさになった。午後からの研究発表にあまり聞きたいものが無かったことや、翌日から雨の予報が出ていたことがあって、午後は市内観光をすることにした。
ホテルからシカゴ川沿いに西方向に歩いて10分もすると、ループと呼ばれる中心街に出くわす。ループとはその昔ダウンタウンの中心を市電が環状に走っていたところから来たものらしい。東京なら山手線内ということなのだろうが、その広さはなんと1km四方。この僅かな面積に、無数の高層ビルが建ち並ぶ。一角の外れには、マレーシアのビルに高さ世界一の座を明け渡す(した?)シアーズ・タワーが、443mの雄姿をのぞかせる。
この地域の中心街、State Streetを歩く。左側には派手なネオンが輝く、シカゴ劇場、両側にはファッションのお店や老舗のデパートが軒を並べる。今では少し北側のマグニフィセント・マイルにブランド物のお店の大部分は引っ越してしまったが、かえって日常品の買物にはこの通りの方が便利な店が多いかもしれない。日曜の午後ということもあって、買物客の姿が多い。
歩いていると、時々ビルの前の広場に何気なく置かれたいくつかの美術作品が目に付く。最も有名なピカソの作による彫像をはじめとする彫刻の数々や、シャガールのモザイク壁画。高層ビルの建ち並ぶ町の、その無機質な雰囲気を和らげようとしているかのようだ。そういえば、シカゴ美術館は、NYのメトロポリタン、ボストンと並び、アメリカ三大美術館に数えられる。
ループを一周すると、今度はシカゴ川の北側のマグニフィセント・マイルへ。ここの正式名称はミシガン・アベニュー。両側に「マグニフィセント(豪勢)」なお店が並ぶ1マイル(1.6km)の間を、こう呼ぶようになったらしい。
名前通り両側には有名なブランドが並んでいて、目を楽しませてくれる。しかし、綺麗な通りではあるが、LAのロデオ・ドライブやNYの5th Avenueに比べると、歩いているだけでワクワクさせてくれるような華やかさには欠ける気がする。それはうっすら暗い冬の空のせいだったのか、それともあまりに整然と新築のビルが並ぶ、通りの雰囲気のせいだったのか...
夜になり、同じ大学から来ている学生仲間と一緒に、シカゴ名物のスタッフド・ピザのお店へ出かけることになった。
スタッフド・ピザとは、タルトのような中がへこんだパイ生地に、トマト、ピーマン、マッシュルーム、などの野菜と、ペパローニ、ベーコンなどをたっぷり詰め込んでチーズをかけて焼いた物。アメリカ人はシカゴに来たら行列を作ってまで食べるとか。
同行したのはフランス人とイタリア人の学生。どちらも食にはうるさいので有名な人種だが、私の提案に賛成したところを見ると、ピザの本場の国の出身者でさえ、彼らの文化がアメリカという風土の中でどのように変化したかに興味があったらしい。
スタッフド・ピザの元祖と言われるレストランへ出かけて初めて食べたスタッフド・ピザは、ピザというより特大版のキッシュという感じ。本家のピザとは大分勝手が違うが、これはこれでなかなかいける食べ物だというのが、私たち3人の一致した感想だった。ただし、ここでガイドブックの忠告にも関わらず、私たちは無謀にも2枚のピザをオーダーし、アメリカの食べ物の量の多さを改めて認識しつつ、ドギー・バッグ(持ち帰りの箱)一杯のピザを持ち帰ることになるのだが。
シカゴ商品取引所(CBOT)の取引開始直前の風景
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シカゴでどうしても私が行っておきたかった所。それは先物取引所である。金融を業にする者にとって、シカゴは「先物」と「商品取引」の代名詞。映画などでもたびたび取り上げられる取引所の雰囲気を、この目で見ておきたかった。
朝9時15分、シカゴの金融街ラ・サール街にあるシカゴ商品取引所(CME)。ガラス張りの見学者フロアからは、取引の行われるフロアの風景が一望できる。東京証券取引所を見学したときのことを思いだす。朝9時半に始まる取引を控え、既に取引フロアには多くの関係者が走り回っている。関係者は仕事の種類に応じた、カラフルな色のベストを着ている。遠くからでも必要な関係者を一目でみつけられるようにするための、工夫らしい。
取引開始3分前。取引の行われる円形の広場のようなところ(ピット)は、関係者に取り囲まれ、緊張感に包まれる。後ろのスクリーンには、ここ1ヶ月の相場チャートや、米国の天気予報(穀物相場は天気に大きく左右される)が映し出されている。
9時30分、正確には10秒前から一斉にピットを囲んだ人々が大きなジェスチャーとともに、叫び始めた。一日の取引が始まったのだ。ガラス越しに見るその光景は、すさまじくもあり、それでいて皆が血相を変えて腕を振り、声をからず風景は、何処となく滑稽でもあった。今日もまたこの取引所で何億ドルの金が動き、何百万人の生活が、欲望が、満たされ、壊されていくのだろうか。
午後1時。短かったシカゴでの滞在も今日で終わり。窓の外は雨、しかも街は濃い霧に覆われている。飛行機が果たして予定通り飛ぶのか不安に思いながら、私は5日間を過ごした25階のホテルの部屋の窓から、煙るミシガン湖を見る。
美しい湖、颯爽と建ち並ぶ高層ビル、全米屈指の美術館、そして豪勢なマグニフィセント・マイル。にも関わらず、私にとってこの街は最後まで何かが違っていた。その違和感の正体は、どうやらあまりにもビジネスに機能的であることに撤したこの街の作りのようだ。一言でいえば、この街には「あそび」や「無駄」というものが欠けていた。
僅かなスペースに高層ビルを並べ、1マイルの距離にショッピング街を集中させる。確かにビジネスの街としては、これ以上効率的な作りはないだろう。しかし、街は本来人が生活する場でもある。人が実際に暮らしていくためには、「あそび」や「無駄」は意外に大切なのだ。それがない「仕事だけの街」に、暮らして幸せと感じられるだろうか。
実際に住んだことも無い通りすがりの旅行者が、数日間の滞在の印象だけで、街を判断するのは横暴かもしれない。ただ、少なくとも私の第一印象は、この街に住み、愛着が湧くことで容易に消えるような性格のものではないような気がした。
(c) K. Suzuki, 1998