「ダイアナ元妃がパリで交通事故死」。このショッキングなニュースを私が聞いたのは、8月31日早朝、学会で訪れていたオーストリアの首都ウィーンのホテルでの事だった。滞在していたホテルではドイツ語のTV放送が殆どだったために、最初何が騒ぎになっているのか分からなかったが、ほどなくフランスの海外向け衛星TV「TV5」のニュースにより事態を知った。
彼女の波乱の生涯については、私が今更ここで述べるまでもない。ゴシップにはまるで興味のない私にとって、彼女の着ていた洋服が米国でいくらで落札されたとか、ハロッズのオーナーの跡取りで、プレーボーイと評判の彼氏ができたとか、そういうことは全て目の前を通り過ぎていくニュースのヘッドライン以上の何物でもなかった。ただ、私が唯一最近注目していたのは、「地雷撲滅運動」への彼女の傾倒ぶりである。世界の主要武器輸出国の一つである英国において、極めて政治的に微妙な立場にある王室関係者(形式的には離婚により既に彼女は王室関係者ではないのだが、政治的影響には変化がない)が、このような活動を支援するのにはかなりの勇気が必要だったと思われる。事実英国の議会関係者の中からは彼女の活動への批判が少なからず出された一方で、ここに来て一部の議員からは、もっと地雷の問題に真剣に取り組もうという動きも出始めていた。
そんな矢先の彼女の死は、残念という簡単な言葉では言い尽くせないものである。意味合いは人それぞれ違うにせよ、彼女を惜しむ感情を世界中の多くの人々が共有している事は、この数日のメディアにおける彼女の報道ぶりや、いくつかのインターネット上の彼女に関するサイトを見るだけでも明らかである。私が多分数百とある(あるいは新たに誕生するであろう)ダイアナ元妃に関するウェブサイトに名を連ねる事にしたのは、私なりの最近のタブロイド系メディア(私は「覗きメディア」と呼んでいる)に対する危機感があってのことである。
「他人の生活を覗き見たい。」こういう感情は今に始まった事ではない。江戸時代には「火事と喧嘩は江戸の華」などと言われ、野次馬が大挙して押しかけたと言うし、「人の口に戸は立てられぬ」というのも、他人の噂話がいかに人間の本質的な欲求(?)かを、表わしているのかもしれない。皮肉な事に、近代におけるメディアの発達がその「覗き」の欲求をどんどんエスカレートさせた。リモコンを操作するだけで、世界中のニュースが瞬時に見られる時代である。世界が狭くなれば、人々の興味も世界的になる。いまやタブロイド・メディアの扱う内容は、町内の火事や痴話喧嘩にとどまらず、世界的なレベルでの「有名人(celebrity)」や「時の人」の報道合戦の様相を呈している。
こうした流れを受けて、タブロイド系メディアと「通常の」メディアの区別もあいまいになっている。英国は日本に比べればタブロイドとそれ以外の新聞との区別がはっきりしている国ではあるが、部数を伸ばすと言う経済競争の下で、次第に一般誌においてもゴシップ記事は重要な役割を果たすようになっている。
多くのメディアが報道競争すれば、それだけスクープの価値も高まる。今回問題となっているような、有名人を追い回すフリーカメラマン(英語では"paparazzi"と呼ばれている)は、一度大スクープを手に入れると、雑誌社に数千万円の値段で写真を買ってもらうという。彼らは喩えれば、ゴールドラッシュのアメリカで金鉱に殺到した人たちと同じで、一角千金の大儲けを狙っているのである。スクープのためなら手段は選ばないという、「無法者」も少なくないに違いない。
今回の事件は、こうした報道合戦の一つの行き着いた先であることは間違いない。折しも新しい恋人の存在が発覚して、ダイアナ元妃をめぐる報道合戦は加熱の真っ最中。スクープを狙って24時間体制でカメラマンが張り付いていたという。「現代の金塊」を狙ってバイクで追い回すカメラマンと、それを振り払おうと疾走する彼女たち。その激しいデッドヒートは、パリの周回首都高速(peripherique)のトンネルの中で文字どおりのデッドエンド(行き止まり、または死の終末)を迎える事となる。
今回の事故がどうして起こったか、という詳細はこれから徐々に明らかにされていく事であろう。カメラマンの追跡は、事故の直接の原因ではないかもしれない。しかし、事件を機にこうした「覗きメディア」を見直そうという動きが出ることは間違いないだろう。でも他人を批判する前に、少しだけ立ち止まって考えて欲しい。こうした「覗きメディア」が存在するのは何故なのか。実はその存在を支えているのは、私たち自身ではないのか、ということを。
日本では数ヶ月前に、中学生が小学生を猟奇殺人するという痛ましい事故があった。その際、タブロイド紙が犯人の少年の写真を掲載した。少年の人権侵害への批判の高まりの中で、その雑誌は販売店からすぐに引き上げられたが、その雑誌には数万円のプレミアムがついて闇市場で取引され、彼の写真を掲載したウェブサイトは空前のアクセス数を記録したという。私は幸いに英国にいて見る事はなかったが、TVのワイドショーで、普段は芸能人を追い回しているレポーターたちが、被害者や加害者の家族を芸能人とよろしく追い掛け回したであろうということも、想像に難くない。
報道の自由は大切である。とりわけ、日本には報道の自由が著しく侵害されたという暗い過去がある。しかし、自由に責任が伴う事もまた事実である。人のプライバシーを覗き見るという、お世辞にも趣味が良いとは言えない行為が、「報道の自由」の名の下に公然とかつ大々的に行われ続けるならば、私たち自身の手で、その貴重な自由を権力が奪い取る口実を与えてしまう事にも繋がりかねない。
今回の事件で、もし私たちがダイアナ元妃の死を悼み、そうした悲劇的結末をもたらしたメディアの取材攻勢に何らかの疑問を感じるのならば、私たち自身にできることはそうしたメディアへの需要を減らす事 〜すなわちそうした「覗きメディア」を見ないこと・買わないこと〜、なのではないだろうか。小さな一歩のようだが、(法による規制ではなく)このような地道な積み重ねでしか、これだけ膨れ上がった「覗き産業」を変えていくことはできないだろう。売れないものを、誰もわざわざ作りはしない。「私のような不幸な犠牲者を、これ以上出さないで欲しい。」これが今回の事故を通して、彼女が残したかった最後のメッセージなのかもしれない。
末筆になるが、あまりにも激しく、短い生涯を駆け抜けていった悲劇のプリンセス・オブ・ウェールズに、心から哀悼の意を表したい。