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【6月28日午後・トプカプ宮殿とその周辺地域】


宮殿に行く途中で見たイスタンブール中心街と中心街のマーケット

午前中で全ての学会発表は終わり、午後は念願の市内観光。昨晩の彼女は今もイスタンブールに住む両親の元で、これから10年ぶりの家族水入らずの休日を過ごすという。来年の1月のシカゴでの学会での再会を約束して、まずはイスタンブールに行ったら必ず見るように、と友人が進めてくれた丘の上のトプカプ宮殿へとむかう。ここは歴代のオスマントルコのスルタン(国王)の屋敷跡である。

広大な敷地の中には、豪勢な建物と、そしてハーレム。帝国時代の王の宝物のコレクションと相まって、かつてのトルコ帝国の栄華を目の当たりにする。折しも天気は快晴。宮殿内に設けられたレストランからは、エメラルドグリーンに輝くボスポラス海峡が、一望できる。


トプカプ宮殿からの美しい海の眺め

驚いたのは日本人の観光客の多さ。宮殿内を歩いている間に10近くの団体に出くわした。日本でトルコ旅行がブームというのは本当らしい。

宮殿の見学を終え、丘から坂を下っていくと右側にすぐ見えるのがアヤソフィア寺院。ここはギリシャ正教の寺院だったのを、イスラム教徒が東ローマ帝国を滅ぼした後モスクに改造したもの。壁の見事なモザイクのキリスト像は、オスマン征服の際漆喰で塗り込められたのが、1931年に発見されたという。まさに動乱のコンスタンチノープル、イスタンブールの歴史そのものである。

アヤソフィアを出ると、今度はイスラム教のモスク、別名ブルーモスクとも呼ばれるスルタンアフメット・ジャミイ。こちらはまた大きくて立派な建物。観光地と化しているアヤソフィアとは対照的に、今でも一日5回の祈りに使われているとあって、建物の中に絨毯が敷き詰められ、荘厳な雰囲気が漂う。モスクの中に入るのは初めてなので緊張する。

モスクの出口で日本語を流暢に話すトルコ人の青年に、随分しつこく付きまとわれた。彼らは名物のトルコ絨毯の店に雇われていて、言葉巧みに店へと観光客を誘導するのが仕事。絨毯に興味のない私は丁重にお断りしたが、近くのマーケットを覗くと、そこには絨毯、貴金属工芸品、スパイスなどを扱うお店が沢山。今や観光地化したせいか、値段はお世辞にも安いとは言えないようだが...

日本人は見分けやすいのだろう。皆店員は日本語で話しかけてくる。そういえば、トルコ語と日本語は似た文法構造をしていると聞いた。トルコ人には日本語は覚えやすい言葉なのかもしれない。


【6月28日深夜・マルマラホテル最上階のバー】

イスタンブール最後の夜が更けていく。同じ大学の10歳近く年下のイタリア人学生2人と、学会の会場となったイスタンブール随一の高層ビルの最上階のバーで談笑する。彼らもやっと発表を終えほっと一息ついているようだ。

私はほろ酔い気分で、短かったこの町の3日間のことを考える。窓の外をふと見ると、深夜0時だというのに、道路には相変わらず大渋滞している車の帯が見える。

キリスト教とイスラム教の複雑な歴史がもたらす、「混在」と、町の交通に代表される、「混沌」。この2つがこの町の形容詞として相応しいのかもしれない。そんなことを考えていた...

勿論まだこの時には、翌朝のロンドン行きの飛行機が、離陸直後に計器トラブルに見回れ、一旦飛行場に引き返すという、「混沌の町」への滞在のフィナーレに相応しい出来事が待っているとは、私には知る由もなかったが...

(完)


(c) K. Suzuki, 1997-2001




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