「プラハの秋」旅行記

(1996年9月寄稿)

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【序・9月12日】

1993年に日本からカリブに行ったときのマイレッジの有効期限が年末で切れる。そんな妙な理由から、旅をすることになった。行けるのは欧州内に限られるので、9月を逃せば(寒くなって)まともな観光は出来ない。私は前々から訪れたことのある友人が口を揃えて絶賛する、チェコの首都プラハを行き先に選んだ。

夕方の便だったせいもあって、英国航空の機体がプラハ空港に着陸する頃には、外はすっかり暗くなっていた。肌寒くておまけに曇っている。ひとまず知り合いのチェコ人の大学教授が予約してくれた郊外のホテルにチェックインし、明日に備えることとした。


【9月13日金曜日、雨・最高気温12度】

[市内へ]

朝起きて見えた青空に喜んだのも束の間、空はみるみる曇り、小雨が降り出した。気温10度、まだ9月半ばというのにこの寒さだ。北風が冷たい。今日は市中心部のホテルに泊まるので、移動しなければならない。交通機関はバスと地下鉄の乗り継ぎ。プラハでは市中心部の環境に配慮して、バスの市中心部への乗り入れは禁止。郊外からの乗客は地下鉄やトラム(=路面電車・プラハ中を縦横無尽にカバーしている)のターミナルで、バスを降り、乗り換えることになる。


[プラハの春と社会主義の遺産]

「プラハの春」。1968年、まだスターリニズムが幅を利かせていた東欧で社会主義の改革とソ連の影響下からの脱却を目指した「プラハの春」の試みはソ連軍の戦車の前に押しつぶされた。歴史がソ連型社会主義の「敗北」を判断するには、更に21年もの歳月がかかることになるが、チェコ(当時はチェコ・スロバキア)がいち早くソ連型社会主義と距離を置こうとしたことと、現在旧東欧諸国の中でも最も経済改革に成功した国になっていることとは無関係ではないのかもしれない。

しかしこの国を旅すれば、社会主義がまだ過去の話ではないということが分かる。旧社会主義国では、国民の日常生活にかかる物価を人為的に低く押さえる政策を採った。このために、今でも食料品や公共交通機関の料金は極端に安い。いくら「社会主義は終わりました」、と言ってみても、今度は民主主義の世の中。弱者にしわ寄せが一気に来る、こうした物価の西欧水準への引き上げは、選挙を考えると容易にはできない。社会主義崩壊から7年たった今でもこの問題はそのままのようだ。

市内までのバス・地下鉄代は乗り継ぎ券で10コロナ。換算すると40円にしかならない。郵便は欧州内なら葉書で5コロナ(20円)、これまた格安である。話は前後するが、13日の夕食はチェコの大統領も訪れるという高級レストランで、鴨肉がメインのフルコース。これで650コロナ2600円)にしかならない。「旧西側」から来た人間には、わずかの費用で王様のような食生活が楽しめる。

*注:円との為替レートは執筆時(1996年9月)現在)


[パステルカラーの建物と尖塔の町]

ホテルにチェックインして早速市の中心部へ。プラハの中心部は中央を流れるブルタバ(Vltava)川で東西に分けられる。西側は丘になっていて、斜面にはプラハ城がそびえ、東側は平坦で主な建物の殆どが集中する。市の中心部は東西、南北ともに1時間強も歩けば端から端へと歩ける、「ミニチュアの首都」である。

ホテルの前にはプラハで一番有名な橋、カレル橋(車は通れない歩行者橋)があり、これを渡ると市の東側の中心部に直結する。

町を歩いてすぐに気付くのは、数多くの建物がクリーム色、ピンク、水色、ライトグリーンなどの所謂パステルカラーであること。町の小ささと相まってまるで童話の中に出てくるおとぎの国に迷い込んだような気分になる。 パステルカラーの建物とともに目立つのは所々に見える教会の黒い尖塔。カラフルな建物とモノトーンの尖塔。この微妙な調和がプラハの魅力かもしれない。


[おとぎの国のプラハ城]

おとぎの国に欠かせない物はお城。そんなイメージにぴったり来るのが西側の丘にそびえるプラハ城である。14世紀当地を治めたボヘミア王カレル4世が現在の城の原型を作ったというから、日本ならまだ室町時代の話。よくまあこのような堅固な建物が建てられたものだと感心する。

周囲を城壁に囲まれた要塞でありながらあまり威圧感を与えないのは、城の中にも点在するパステルカラーの建物や、ロマネスク様式の丸みを帯びた教会せいだろうか。

城の窓からはプラハの街と社会主義政権下で権力の象徴として建てられた「コミュニストの爪」と呼ばれる近未来的な塔だけが、古い町並みとの調和を拒否したようにそびえ立っているのが見える。自分の力を誇示するために、権力者が高い建物を建てようとするのは、バベルの塔の時代から変わっていないようだ。


[クラシックを愛するプラハっ子]

チェコを代表する作曲家と言えばドボルザークとスメタナ。またモーツァルトもこの地で理解者に恵まれ創作に励んだという。「ヨーロッパの音楽学院」と称されるプラハっ子のクラシック好きは健在だ。

町を歩くと至る所でクラシックコンサートのビラを配っている。教会や市民ホールなどを会場にしたミニコンサート。町を歩いていたらあっという間にビラが手元に一杯になった。もう1日滞在していたら見てみたい気もしたが、さすがに一日中歩き回った後では眠ってしまいそうで、諦めることとした。


[お土産はボヘミアングラス]

チェコ名物と言えばピルゼンのビールとボヘミアングラス。町の至る所で美しいクリスタルグラスを売っている。値段は物によりまちまちだが、両親へのみやげにと小さなブランデーグラスを450コロナで買った。


【9月14日土曜日、曇のち晴・最高気温14度】

午前中ホテルをチェックアウトした後、ケーブルカーで街の西側の丘へと登ってみることにした。丘の上にはさらに一際高い展望塔があるが、エレベーターなどという気の利いたものはなく、螺旋階段を歩いて上らなければならない。この螺旋階段、塔の中にあるのではなく、塔の外をぐるぐると歩いていくもの。折からの強風で塔全体が微妙に揺れていることもあって、高所恐怖症の私は風で飛ばされて下に落ちてしまうのではないか、などといった不安が頭をよぎり、ともすれば足が竦みがちである。


無事展望台に着いて下を眺めると眼下にプラハの街が一望できる。街を二分して中央をカーブを描いて流れるブルタバ川を見ていると、学生時代に音楽の授業で歌った「ボヘミアの川よモルダウよ...」というスメタナの交響詩の一節をいつの間にか口ずさんでいる自分に気付いた(モルダウはドイツ語でのブルタバ川の呼び名)。

午後3時、今頃になって日が差してきた。地元の人によれば「11月の気候」に悩まされた今回の旅行だったが、「プラハの春」ならぬプラハの秋と、やがてやって来るこの国の厳しい冬を垣間見ることが出来た。定刻から少し遅れて飛行機は離陸し、ロンドンから飛行機で僅か1時間半の所にある「おとぎの町」は、飛行機の窓の彼方へと遠ざかっていった。




(c) K. Suzuki, 1996-2001



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