2年半ぶりのカリブ海旅行(セント・キッツ)

(1997年5月寄稿)

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【4月15日・出発】

[New York, NY]

24時間眠らない街ニューヨーク。アメリカ東部時間午前5時、私を乗せたリムジンは、マンハッタンのビルの中をニュー・アーク空港へ向けて疾走している。街角のデリ(雑貨やスナックの店、日本のコンビニと違い、個人経営の店が多い)にちゃんと買物客がいるというのも、いかにも「眠らない街」らしい光景だ。

ハドソン川の下をくりぬいたリンカーントンネルを抜けると、そこはもう空港のあるニュージャージー州。ちょうど朝焼けが、遠くのマンハッタンの摩天楼を照らし始めた。黒いシルエットのビル街の輪郭で点滅する赤いランプと、オレンジ色の朝焼けの微妙なコントラストは、時間がたつにつれて明るさを増していく。私は寝ぼけた目でその光景を見つめながら、2年半ぶりのカリブに思いを馳せた。


[San Juan, Puerto Rico]

サン・ファン空港

カリブ東部時間正午。プエルト・リコのサン・ファン空港に降り立った私を、熱帯の太陽が出迎えた。プエルト・リコはアメリカの準州、従ってNYからのフライトは国内線なのだが、ここは既にラテン・アメリカ。空港内のアナウンスもスペイン語が先で、次が英語と変わる。空港のスナックでブリトーを買い、ほんの一瞬のラテン・アメリカを味わった。

ここサン・ファン空港はアメリカン航空のハブ。アメリカ各地からカリブへ向かう観光客は、一旦ここまで直行便で来てこの空港で色々な島へと振り分けられて行く。1994年の暮、東京からマイアミ経由でバルバドスへ行ったときも、ここで乗り換えだったのを思い出す。

NYからのボーイング機とはうって変わって、ここから目的地セント・キッツ(独立国)への飛行機は70人乗りのプロペラ機。乗客は島へ戻る現地の人たちと、明らかに休暇目的のアメリカ人がほぼ半数ずつ。ハネムーンと思われる若いカップルも何組か見られる。ご年配のフルムーンカップルもいる。どうやら一人旅の観光客は、予想通り私だけらしい...


[St. Kitts Is., St. Kitts and Nevis]

空から見たセント・キッツの最高峰 Mt. Liamuiga

カリブ東部時間午後2時。紺色の海と白い雲しか見えなかった飛行機の窓に、急に2つの島が飛び込んできた。手前はお隣のセント・ユースタシヤス島、そして遠くに見えるのがお目当てのセントキッツ島(別名セント・クリストファー島)だ。いつの間にかエメラルドグリーンに色が変わった海の上を、プロペラ機は滑るように島へと向けて高度を下げた。

ターミナルとは名ばかりの、小屋のような空港の建物内で入国審査。たかが70人の乗客なのに審査は一向に進まない。このような島では時間にカリカリすること自体がルール違反なのだと早々に諦める。結局1時間程待った後、空港でタクシーを拾い、ホテルへチェックインした時には既に時計は4時近くになっていた。いよいよ2年半ぶりの島でのバカンスの始まりである。


【4月16日・1日目】

セント・キッツ&ネビスは、その名の通りの小さな島2つからなる独立国(島の地図はこちら)。 人口は4万人程度に過ぎない。近隣のカリブ諸国に比べても小ぶりで、欧米のリゾートファンの中でも知名度が低く、どちらかというと「マニアの島」かもしれない。昨年のアトランタオリンピックでに独立後初めて選手(陸上)を送ったのだが、多分気づいた人は少ないだろう。1493年コロンブスが米国大陸を発見した翌年に発見したこの島に、自分の名前を取って St. Christopher島と名付けたのがこの島の別名の由来で、独立までは専らそちらの名前で知られていた。

この島もご多分に漏れず、カリブ海を舞台に16〜18世紀に欧州列強が演じた「島取り合戦」の影響を受けている。この島は1623年に英国最初のカリブ海での植民地となった後、フランスとの共同統治の歴史はあるものの、ほぼ一貫して英国の支配を受け、1983年に独立した。この辺りは最も「島の取り合い」が激しかった地域らしく、すぐ目の前に見えるセント・ユースタシヤス島は今でもオランダ領。そして周囲にはフランス領の島がある。ちょっと離れたプエルトリコやドミニカ共和国は元スペイン領である。

早起きの影響もあって、結局前日は食事をして寝るだけになってしまった。目を覚ますと島の南東部に位置するホテルの部屋の眼下は白い砂浜と海。潮風に乗って波の音が聞こえてくる。日が高くなって暑くなる前に、早速この国の首都、バステールへと出かけることにした。


島の自慢、"The Circus"

バステール(Basseterre)は、首都と言っても人口1万5千人の町。日本ならかなり田舎の小都市という風情である。町の中央にあるのは"The Circus"と呼ばれる大きな時計塔のある交差点。これがこの島一番の名物らしく、多くの観光客が時計塔の前で記念写真を撮っている。

物の本によれば、この"Circus"は宗主国英国ロンドンの"Picadilly Circus"を真似て作ったとあるが、本物を知っている人間でなくとも苦笑いしたくなるほど、この広場は似ても似つかない。勿論この島の"The Circus"には、本国では決して照ることのない、熱帯の太陽が花を添えてはいるのであるが...


独立広場(Independent Square)

近くには独立広場(Independence Square)と呼ばれる噴水のある広場や、植民地時代の面影を残す格式高いSt. George教会などがある。町の南側は港になっていて、お隣のNevis島行きのフェリーがここから出る。

小さな町中は2時間も歩いていたら見るべきものは見尽くしてしまった。土産も買ったので、遅めの昼食を取って、ホテルへ戻りホテルの前のビーチで泳いだり、肌を焼いたりした。


島で見たヘールボップ彗星

夕方ちょうど周囲が暗くなり始めた頃、西側の丘の上に一際目立つ輪郭のぼやけた星、ヘールボップ彗星が太陽から徐々に離れていく姿を現した。ある時突然現れる彗星のぼやけた姿は、昔から人々を不安に陥れてきた。彗星の到来を「この世の終わり」と騒ぎ立てたという話は沢山残っている。先月カリフォルニアのカルト宗教の信者が、彗星の裏に隠されたUFOに乗って永遠の未来へ旅立つことを信じて、集団自殺をした。あのぼんやりした光には、人間の不安をかき立てる不思議な魔力があるのだろうか。


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