夏のイスタンブール駆け足滞在記

(1997年7月寄稿)

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学会の詳しい内容については、自己紹介のページを参照してください


【6月26日早朝・ロンドン】

午前5時。4時間の束の間の睡眠は目覚まし時計に遮られ、これからイスタンブールでの欧州ファイナンスマネジメント学会出席のため、空港へ向かわなければならない。TVの天気予報では、イスタンブールの天気は晴、最高気温28度。季節外れの寒い日が続く「冬」のロンドン(最高気温15度)を抜け出し、これから夏の国へと向かう。

初めての英語での学会発表ということと、政情不安が伝えられる国に行くということが重なって、今日は久々に出発前に緊張している。


【6月26日午後・イスタンブール、アタチュルク国際空港】

ロンドンからイスタンブールへは飛行機で3時間半。狭い欧州では、このフライト時間はかなり長い方である。一緒のフライトで到着したイギリス人や他のEC諸国の人たちがビザの取得に手間取っているのを横目に、スムーズに入国。不思議な事に日本人は、トルコの観光入国についてビザ取得は必要ない。

入国手続きが終わり、空港のロビーへ出て来るとものすごい人の波にまず圧倒される。人口1500万人の大都市の割りには小さな空港が、混雑を助長しているのかもしれない。

空港で旅行会社のお迎えの車に乗せられ一路イスタンブール市内へ。空港からの高速道路の沿線には近代的建物が並び、古都という感じとは程遠い。市内に近付くにつれて、道路が渋滞を始めた。ちょうど平日の夕方だったこともあり、大都市ならこんなものだろう、と思って気にもしなかったが、これがまさか早朝から深夜までこの状態だとは...


【6月27日午後・イスタンブール市内】


学会会場となったマルマラホテルとホテル前のタクシム広場のかわいい路面電車

朝一番での研究発表は極めて好評のうちに終了。これで仕事の部分はほぼ終わったようなもの。夕方は学会での社交イベントのメイン、ボスポラス海峡クルーズとガーラ・ディナーが待っている。大きな遊覧船に参加者の家族を含めて300人近く人が乗り込み、船内は大混雑。いよいよ海峡クルーズのスタートだ。

ボスポラス海峡はトルコ内のアジア部分とヨーロッパ部分の境目になる海峡。海峡の西側がイスタンブールのあるヨーロッパ側である。海峡の両端には、いくつもの大宮殿が並び、オスマントルコ帝国の栄華を慕ばせる。


遊覧船の発着場と船から見たボスポラス大橋

北側には海峡の両側をつなぐボスポラス大橋、第2ボスポラス大橋が雄姿をたたえている。橋の両側にはアジアの要塞、ヨーロッパの要塞と呼ばれる2つの砦が並び、東ローマ帝国の時代から何度となく戦争の舞台となったこの地の歴史を感じさせる。

船はいつの間にか向きを変え、海峡を再び南へ。どうやらこの船は出発地点ではなく、ディナーの会場へと直接接岸するらしい。少しずつ海岸に近付いていく船から眺める私の目に飛び込んできたのは、想像をはるかに超えた夕食会場だった。


【6月27日夕刻・イスタンブール市内の建物跡】


遺跡にテーブルを並べたディナー会場には、生の管弦楽の演奏が流れ...

船が着いたディナー会場はオスマントルコ帝国時代に建てられたという古い建物の跡。今は建物の外壁の一部しか残っていない広場になっている。広場には整然とテーブルが並べられ、純白のテーブルクロスがまぶしい。一角では管弦楽団が、優雅なクラシック音楽を奏でている。

座席には皆が思いのまま座っていく。私は同じ時間帯に研究発表した、米国連邦準備銀行(日本の日銀に当たる)シカゴ支店のエコノミストで、イスタンブール出身の女性を誘い、同じ大学から発表に来ているイタリア人3人と一緒のテーブルに着席した。

このような遺跡にどこから運んでくるのか、豪勢な食事が運ばれてくる。食事が一段落すると、楽団の奏でる甘いメロディーに乗ってスローダンスが始まる。中央に出て踊っているのは、皆金融論を学ぶ者ならば知らない者はいない有名な学者ばかり。その中でひときわ目立っているのが1990年にノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大のミラー教授。相当のご高齢にもかかわらず、ワルツだけでなく、タンゴまでも見事な身のこなし。いつの間にか周囲に踊っていた人たちは消え、彼と奥さんの独壇場となっている。才能のある人間は、何でもこなせるのだなぁ、と思わず感心した一時だった。


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